あゝ、荒野 前・後編

2020年06月29日
0
0
おススメの一本
80点

寺山修司の原作を近未来を舞台に、菅田将暉とヤン・イクチュンのW主演で描いた青春映画。

あゝ、荒野



2021年、少年院から出てきた新次は自分たちを襲った相手、裕二に復讐することだけを考えていた。しかし、不良を辞め、ボクサーになっていた裕二は、新次を相手にしようとしない。苛立った新次は勧誘してきたボロジム、海洋拳闘クラブに入会することを決意する。一方、韓国人とのハーフで吃音症を抱える建二は床屋で働きながら、父親に暴力を振るわれる毎日に怯えていた。そんな彼もまた海洋拳闘クラブの門を叩く。二人の入門生を迎え、上機嫌な片目は、彼らをプロにしようと厳しいトレーニングを彼らに課しはじめ……。

現代版「あしたのジョー」という言い方が一番しっくりくるような気がする。
基本的にはストレートなボクシング映画だ。ただ、そこに親子関係や、在日の問題、セックス、震災被害、暴力など、さまざまな問題か絡み合ってくる。その描き方がとても自然で、本筋のボクシング部分に集約されるのが上手い。

特に中心的なテーマになっているのは、生きる意味についてだろう。
どこに自分の居場所があるのか、自殺はいけないことなのか、人とつながることはできるのか。
登場人物たちは、みなこの問題を抱えて苦しみ、悩む。でも、なかなか答えは出てこない。

唯一、ボクシングにだけその答えらしきものはあるのだけれど、それはかなり過激だ。
本当に人とつながろうと思ったら、その人と真剣に向き合わなければいけない。
ボクシングにおいて真剣であるということは相手と殺す気で拳を交わすことだ。

前篇では、新次と建二がボクシングに目覚めていく様子が、周りの人たちや彼らの過去とともに語られていく。
設定や人物造詣の上手さに加えて、菅田将暉とヤン・イクチュンの素晴らしすぎる演技が、二人の関係性をはっきりと物語る。
ほかの誰かは例え肉親でも裏切り離れていくかもしれないが、この二人の間にだけは確かな絆があり、それは壊れるものではないと感じさせてくれるのだ。
簡単に言ってしまえば、この二人のシーンには絶対的な安心感があるのだ。
どこまで行っても、世界が終わるとしても、この二人だけは親友である、と。

そして後篇。
二人は、絶対的な絆で結ばれた親友であるがゆえに起こり得る悲劇に見舞われる。
信頼し、尊敬し、大好きで、お互いを認め合っているからこそ、彼らは対等でありたいと願う。
新次にはまだ復讐という目的がある。彼にとってボクシングはまだ相手とつながる場ではない。
でも、建二にとってボクシングとは、新次と対等につながれる場そのものなのだ。
だから、彼は新次の元を離れていく。新次と戦うために。彼と対等に向き合うために。

そして、消化不良のまま復讐を果たし終えた新次もまた、遅れて同じ場に立つこととなる。
だからこそ、最後の二人のボクシングシーンは過激で、あまりにも切なく悲しい。
二人は、殴ることでしか相手を認められないのだ。しかも、本当に究極まで相手を認める、ということは、そのまま相手の死をも意味しているのだ。
ここに、僕は「あしたのジョー」の精神性を強く感じた。
矢吹丈と力石徹の関係も、まさにそういうものだったからだ。

愛と殺人が同義語になる、リング上の風景が、心を揺さぶらないわけがない。
あまりにも悲しく美しく、痛すぎるボクシング映画だった。

※ほか、ちょっと。
・ヤン・イクチュンの演技は神がかっていた。台詞もほとんどないのに、仕草や表情ですべてを語る。すごい。
・前篇だけでも面白いし、観終わった満足感もある。続くとわかっていての、この満足感は珍しいですよ。
・後篇に関しては涙なしでは観られない。
・実際の中継のような画を中心に構成されたボクシングシーンは迫力も満点だった。
・最後の観客が消える演出も絶妙。ここで、本当のボクシングの意味が突き付けられる、気がする。
・出ている役者さんがみんな上手かった。
スポンサーサイト



ひこくろ
Posted by ひこくろ
フリーでライターをしています。
有名人に会えるとワクワクしてしまうミーハーです。
1000本分の映画をぶった斬ってしまったので、これからはおススメの映画が1000本分溜まるまでやろうと思っています。

※おススメな映画があったらお気軽に教えてください。

Comment 0

There are no comments yet.