パンドラの匣

2014年08月13日
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まぁまぁ面白い
70点

太宰治の原作を冨永昌敬が染谷将太主演で映画化。

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結核を患う「僕」は終戦後、療養施設に入れられる。そこは患者、看護婦を問わず誰もがあだ名で呼び合う一風変わった施設だった。そこで自称新しい男の「僕」は「ひばり」というあだ名を付けられ、同室のメンバーやアイドル的な看護婦の「マァ坊」らとともに、それなりに満ち足りた毎日を送っていた。そんな中、親友であった同室の「つくし」が退院し、入れ替わるかのように新しい看護師「竹さん」がやってくる。「竹さん」は大人びた誰もが注目する美人だった。僕も、そして退院した「つくし」も。そんな様子を見て「マァ坊」は「僕」に「竹さんとは親しくするな」と言ってくるのだが……。

淡々とした、というか、無テンポで描かれているというか、なにかとてもつかみどころのない映画という印象を受けました。
と言ってもそれは決して悪いようにはなっているわけではありません。むしろ、観ているうちに自然と静かに映画の中に入っていくような感覚を呼び起こします。小津世代の頃の、昔の邦画を観ている感じ、と言えば近いのかもしれません。

物語らしい物語がほとんどない、ということも余計にその感じを強くしています。そのせいか、逆に時々出てくるシーンにはっとさせられます。

「マァ坊」と「僕」が布団部屋で口論する場面や、
暗闇の中「竹さん」が「僕」の目の前で鬘を取り髪を整える場面、
「竹さん」が「僕」の足を拭く場面もそうですし、
最後に「つくし」が「竹さん」の手をそっと握る場面もそう。
他にもいろいろありますが、どの場面も印象的で、そのどれもが爽やかなエロスと「思い」に満ちています。

看護婦が「やっとるか」と尋ねると「やっとるぞ」と答え、「頑張れよ」と言うと「ようし来た」と答える。このやり取りは映画の中では何回も繰り返し描かれます。それはまるで挨拶か記号のようです。が、この場面さえも、ある種官能的に描いているのがこの映画の上手さなのだと思います。

同時にこの映画は「太宰文学」とは一人称の文学である、と改めて思い知らされる映画でもありました。
ほとんどモノローグで進み、「ひばり」を中心に描く、ということで監督はその一人称に挑戦しています。ですが、映画は映像である以上、三人称でしかあり得ず、その試みは半分成功、半分失敗に終わっています。「太宰文学」は否応なく、読者を主人公にさせてしまう文学です。それが映画でできたのかどうか。

自分が主人公に同化できるか否かが、おそらくこの映画の評価を分けるポイントです。その意味で、好き嫌いがはっきりと分かれる映画だとも思いました。

※ほか、いろいろ。
・監督が「パビリオン山椒魚」の人だと知って驚きました。僕はあの映画はまったく受けつけなかったので、同じ監督の作品とは思えませんでした。
・評判通り、大阪弁を話す川上未映子さんの演技は最高でした。この人は歌も歌うし、詩では中原中也賞を取るし、小説では芥川賞を取るし、この映画の演技ではいくつかの女優賞も受賞しています。神は二物を与えるものです。
・使われているジャズが映画にとても合っていると感じました。映画もジャズのような無テンポのリズムがあります。
・一番最後を三音で終わらせたのも見事です。
・同時期に公開された「人間失格」よりも太宰的だとは思います。
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ひこくろ
Posted by ひこくろ
フリーでライターをしています。
有名人に会えるとワクワクしてしまうミーハーです。
1000本分の映画をぶった斬ってしまったので、これからはおススメの映画が1000本分溜まるまでやろうと思っています。

※おススメな映画があったらお気軽に教えてください。

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